カテゴリー別アーカイブ: 16 上町界隈

夏の終わりのピースおおさか‐2247‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode4を、昨日公開しました。

9月28日(日)に内覧会が開催されますので、よろしければお越しください。

予約などは不要です。

長男が大阪に帰ってきていた夏季休暇中に、ピースおおさかへ行ってきました。

終戦から80年、直接戦争は知りませんが、祖父母世代からは直接話を聞きました。

子供たちにはその経験もないので、戦争はより遠い存在だと思います。

終戦記念日の前に、長男を伴って訪問してみました。

開館して34年経ちますが、この建物はシーラカンスの設計です。

学生時代にコンペが開催されたはずなので、記憶に残っています。

「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム」とあり、多くの画像、資料でその戦禍を伝える施設です。

大阪への大空襲は1945年3月13日から終戦前日の8月14日まで、計8回実施されています。

大空襲の定義は大型爆撃機のB-29が100機以上飛来した空襲を指すので、実際にはもっと多くの空襲があったのです。

焼夷弾によって大阪の街を焼き尽くし、1万人以上の市民が亡くなりました。

大阪城の東には、東洋一の規模をもった大阪砲兵工廠があり、そういった軍事施設も徹底的に狙われています。

天守閣の北にある山里丸石垣には、機銃の掃射痕が残っています。

80年の時間を経ても、石はその痕跡を生々しく残しています。

多くの一般市民が焼け死ぬ様子や、機銃掃射を避けようと、線路のガード下に人が殺到し、圧死した状況などを語る映像や一般市民が描いた絵は、目を背けたくなるようなものばかりでした。

長男はかなりしっかり各展示を見て回っていました。

順路の一番最後に、戦争後を伝える展示エリアもありました。

復興を遂げる1960年代の心斎橋筋商店街の写真です。

「中華そば 55円」とあります。


戦争は遠い過去となりつつありますが、ウクライナでも中東でも実際に戦争は続いています。

戦争が無く、思想的にも自由な社会は、頑張れば結果がでますし、そうでなければ淘汰されます。

自由に感謝し、仕事人として責任を持たなければ。

そんなことを感じた、夏の終わりのピース大阪でした。

戦争とは全く違いますが、罪のない市民が大きな被害を受けるのが天災です。

今週末、2024年1月1日に起こった能登半島地震の災害復興まちづくり支援のボランティアに行ってきます。

何ができるか分かりませんが、精一杯役割を果たしてきたいと思います。

■■■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催■■■

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

家族写真 in 大阪城‐2243‐

今日は朝から、家族で大阪城の天守閣へ。

本丸の正門にあたる桜門まで行くと、天守閣が見えてきます。

長男が東京から帰省していたタイミングで、家族写真を撮りに行ってきました。

昨年は、初めて4人で行った旅行先、白浜で撮りました。

今年は娘が受験ということもあり、塾へ行く前に大阪城で撮ることにしました。

昨日を予定日にしていましたが、生憎の曇天。

長男には一日滞在を伸ばしてもらったので、晴れてくれて助かりました。

日中は観光客でごった返す天守閣前も、朝の7時台はガラガラ。

思ったところで撮影できました。

これだけの蝉時雨が響くのもあと少しでしょう。

撮影した後の画像チェックの図です。

4人で撮った後は、恒例にしている兄妹のカット。

子達が仲が良いのは嬉しい限りです。

初めに書いた、桜門を入ってすぐの所には、蛸石と呼ばれる巨石があります。

大阪城内でも最大で、面積は約36畳、重さは108トンと推定されています。

大阪城は極めて立派な城ですが、間近でみて驚くのは石垣です。

石垣と言う、巨大な基礎があってこその大阪城なのだと分かります。

長男は大学3年生、長女は高校3年生。まさに仕事人への基礎を築く年代です。

石垣は傾斜が急すぎれば倒壊しますし、緩すぎれば、敷地を無駄使いした上に、労力ばかり掛かります。

程よい角度が美しいのは、人生も同じ。

自分が登れる最大角度を目指して欲しいと思います。

段々勾配が緩くなる石垣など全く美しくありません。

長男は、仕事を決めるべき時期にはいりました。

自分が人生を掛けてみたい仕事のなかで、一番厳しいと思うものを選んでほしいと願っています。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

何となく、導かれて長堀通‐2240‐

今日は心斎橋と長堀橋の間で打合せがあったので、まずは長堀橋駅で下りました。

クリスタ長堀の東端にあたります。

長堀通りと堺筋の交差点に駅はあります。

堺筋を3ブロック北に上がると堺筋倶楽部が見えてきます。

2003年の秋に、ここで結婚式を挙げました。

10時頃通ると、行列ができています。

「パンとエスプレッソと」という看板が見えました。

当時は、銀行だった建物がイタリアンレストランにコンバージョンされていました。

結婚式場として借りることもできたのですが、今はどうなのでしょうか。

1時間程の打合せを終え、帰りは心斎橋駅に向かいました。

どの街でもそうですが、変わらぬところと、変わるところあり、です。

商店街の中も少し歩いてみます。

ラーメンは900円から。

チェーン店の焼き肉定食も、1188円から。

そんなものだろうなと思いながらも、昼食で1000円かという気持ちも。

商店街を少し外れると、街歩き好きの鼻が効いてくるのです。

「ONEプレートサービスランチ ¥700」

プレートのスケッチ付きの看板です。

テープ貼りの下には「おかわりOK」の文字がうっすらと。

現在、それを望むのは酷というものでしょう。

先週の日曜日、名古屋の大須商店街へ行ったことを書きました。

心斎橋筋商店街も大きいですが、その規模に圧倒されました。

「そりゃ、名古屋にもお好み焼き屋さんはあるよな」と思いながら、二度見しました。

お好み焼き 330円

これは安い!

日本の店はどこで食べてもほぼ美味しいのです。

なら、安い店が一番です。

今日の昼食は、昼過ぎに結局会社に帰って、妻の作った弁当でした。

食べないので、高いも安いもないのですが、見るのは自由ですから。

堺筋倶楽部で結婚式を挙げたと書きました。

建築家として、どんなところで式を挙げるのかと、身の丈にあった、という2点で選んだと思います。

当日は、少し雨が降っていました。

「もう22年になるのか」という気持ちと「まだ22年か」という気持ちの両方があります。

ただ、何となく導かれて、アトリエを移転してきたような気もするのです。

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残念、初天神祭り‐2239‐

上町に移転してきて初めての夏。

周辺をジョギングしていても、7月25日が近付いてくると、いやがうえにも、天神祭りを意識しない訳にはいきません。

天神橋北詰あたりは天神浜というようです。

周辺の企業も、何かしらの協力をしているのでしょう。

今まであまり縁の無かった天神祭りですが、少し歩けば花火が見れそうなので、仕事終わりに出掛けてみました。

夕日を受けたクリスタルタワーは金色に輝いています。

しかし、甘くなかった……

花火がよく見える場所は、すでに人が居るので、歩き続けるしかありません。

そのあたりは、警察や警備の人たちも徹底していました。

確かにそうしなければ、危険なくらいの人、人、人、です。

大川左岸は、意外に木が高くその間から、時々見える感じ。

木が途切れているところは、人も立ち止まってスマホをかざしています。私もそのひとりですが。

ちょっと早めに退散しましたが、それでも人出は増す一方といった感じでした。

初天神祭りは、花火に関しては惨敗といった感じでした。

それでも、花火の音だけ聞きながら、出店めぐりも意外に楽しいものです。

何より、「初」がまだまだあるのは嬉しいことです。

毎年チャンスがあるので、少しずつ開拓していきたいと思います。

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玉造稲荷神社で上方地車囃子、夕涼みは郷愁と共に‐2235‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode3を、昨日公開しました。

なかなか苦心した増築計画ですが、よければご覧ください。

長堀通には、6月頃から生國魂神社や玉造稲荷神社の夏祭りの幟があちこちに立っていました。

玉造稲荷神社は7月15日と16日。

上町に越して来てから初めての夏です。
昨日、娘が帰宅したタイミングで家族で行ってきました。

まずは本殿を参拝。

誰も小銭を持っていないので、お賽銭は私の財布からですが。

娘は、とにかく何かを買いたいらしく、屋台を物色してまわります。

チョコレートでコーティングされたバナナが500円。

なかなかの見た目で、私は遠慮しておきました。

ただ見ていると、フライドポテト400円から、唐揚げも400円からとあります。この物価上昇のなか、なかなかリーズナブルな価格設定だと思います。

メインのお客さんは若い世代だから、頑張っているのでしょう。

それなら、ビッグエンタープライズも可能では?と思ってしまいました。

狭くもなく、広くもない境内ですが、若い世代でごった返していました。

ベビーカステラを食べ、最後はフルーツでしめるそうです。

200円は本当にサービス価格な感じがしました。

一番奥に、舞台が組まれていました。

20時半を過ぎた頃、祭囃子が聞こえてきました。

上方地車囃子保存会とあります。

そういえば、平野のアトリエ前を通るだんじりも、同じ祭り囃子でした。

保存会とあるだけに、動きもどこか気品がある感じがします。

20時頃に着いたのですが、都心部は夜でも本当に暑くなりました。

小学校の頃、ランニングシャツになれば夕方は快適に遊べた気がします。

夕涼み

郷愁と共に、過去の言葉になってしまったようです。

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ブルーインパルス狂騒曲‐2234‐

昨日の日曜日は、14時半に上町のアトリエから徒歩6分の難波宮跡公園へ。

ご近所さんも続々と自転車で駆けつけています。

週末から、Web上でもブルーインパルスの記事がかなり上がっていましたが、上町界隈もご多分にもれずです。

普段のジョギングコースでもありますが、ここは大化の改新の部隊にもなった難波宮があった場所です。

それで、何もないだだっ広い野原なのです。

ブルーインパルスが万博会場へ向うルートになっているので、観覧ポイントにもなっていました。

関西万博開幕の 4月13日(日)の際は、関空を飛び立ったものの、天候が悪化してやむなく帰還。

小雨の中、周辺からため息がもれていました。

しかし、そのお陰で大阪城とブルーインパルスが見えるはずの場所はリサーチ済みです。

前回のこともあってか、今回は13日(土)と14日(日)の2回チャンスがありました。

土曜日は予定があったので来れなかったのですが、前日も難波宮跡公園で見ておられたベテランさんが、「通天閣がある、あっちの方向から飛んでくるから」と話しているのが聞こえてきました。

それで、2つのマンションの間から飛んでくるのだなと準備していました。

すると、高いほうのタワーマンションの影から、轟音とともに、いきなり視界に飛び込んできたのです。

慌てて録画ボタンを押したので、ぼけた場面もありましたが、よく撮れたほうかなと自我自賛です。

タワーマンション横のビルの屋上にも人の姿が見えています。

完全にお祭り騒ぎでした。

大阪城で西へ旋回し、一旦見えなくなりましたが、太陽の塔、枚方パークを回ったあと、再び大阪城の上を通過して南西にある万博会場へ。

2度目も真下から見ることができましたが、通過と共に歓声と拍手が起こっていました。

周辺では「iPhoneが熱くなりすぎて、肝心な時に録画できひんわ~」と言っているおじさんが居ました。

ちょっと可愛そうでしたが、そのお陰でギリギリまで影の下にiPhoneをキープしておいたのです。

防衛省・自衛隊は 「大阪の空を見上げよう」のハッシュタグをつけての投稿を呼びかけました。

空を見上げるって、とってもいい気分です。

ブルーインパルスは初体験でしたが、いい日曜日の午後になりました。

青い衝撃は突然に。

ブルーインパルス狂騒曲でした。

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自転車の天敵とできる人‐2233‐

上町に越してきたら、すぐに自転車を修理したいと思っていました。

近所に専門店があるなと思っていたのです。

2013年に買ったカゴ付き自転車はかなり気に入っていますが、ディスクブレーキを直してくれるところがなかなかなく……

散々探し回った結果、意外にもイオンサイクル喜連瓜破店だけが引き受けてくれたのです。

ただ、チェーンのがたつきは「ギアから全部交換になるので、ウチではできないんです」と言われていました。

少し時間に余裕ができたので「パークサイドバイシクルズ」へ相談にいくと、店主が「ああいいですよ~、3万までは掛からないと思います」と。

即答でした。

心の中で「この人できる!」と。

1週間ほどすると部品が入ってきたので、再度預けにいきました。

ギアもブレーキもピカピカになって帰ってきたのです。

そうなると、自転車で出掛けたくなります。

上町周辺は坂が多いですが、私の愛車は5段変速なので1速にすれば、前の坂も何とか立ちこぎしなくても大丈夫です。

近所にある、大阪女学院正面の坂はかなりの勾配。

このくらいになってくると、自転車は下りて押さないと厳しくなります。

しかし、この坂を毎日登っていれば、生徒さんはかなり鍛えられそう。

天満橋の八軒家浜に出るあたりの坂はこの勾配です。

妻と娘は電動自転車に乗っているのですが、ちょっと遠出するなら私も欲しいなと思っていました。

実際、このあたりの電動自転車率は、かなり高いものがあります。

先の大阪女学院ですが、西の通りはこのくらいの坂なので、自転車でも何とか登れます。

よくよくルートをリサーチすれば、何とかなることが分かってきました。

それで先日、グランフロントまで行ってみたのです。

坂はなんとかなりましたが、梅田のど真ん中を横切るのは、人の多さでなかなか大変でした。

帰りは、北側に大回りして、中崎町あたりを通ってみましたが、その問題は解決できそうです。

自転車置場も、150円くらい出せば結構あるのですが、グランフロントには2時間無料の駐輪場もありました。

北館は170台分ありますが、2割くらいは空いていたでしょうか。

うめ北広場には530台分があるようですが、こちらは思ったより小さいなという印象でした。

パリ、ローマ、シアトルなど、自転車にやさしい街は沢山あります。

日本でも、自転車レーンが急速に増えていますが、これはどんどん進めばよいなと思います。

本気のサイクリストは別にして、自転車の天敵は急な坂です。

Googleマップでルート検索をすると、高低差まで見れるのは本当に助かりますし、見ていて楽しい。

先の 「パークサイドバイシクルズ」 ですが、こちらも坂の横にありました。

店主に「パークサイドのパークは、大阪城公園のことですか」と聞くと、「引っ越ししてくる前の店が、同座公園の横だったんです」とのこと。

それを聞いて納得できました。

車にしても自転車にしても、こういったメンテナンスをしてくれる店があってこそ安心して乗れるというものです。

今までお願いしてきた自動車工場が遠くなったので、車のほうもリサーチ中です。

ちょっと期待している店があって、楽しみもあり、やや不安もあり。

多分できる人だと思っているのですが。

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天満の天神さん、何かいいことありそう‐2228‐

昨日の日曜日は、晴れ間を狙って自転車で出掛けました。

天神橋は天満橋の一本西に掛かる橋です。

天神橋の南詰、「天神橋」交差点を境に、北は天神橋筋で、南は松屋町筋に変わります。

このあたりの位置関係は、自転車で通って初めて把握できました。

北詰には、立派な橋名飾板があります。

大阪市のWebサイトには「天満橋・難波橋とともに浪華の三大橋と親しまれた」とありました。

天神橋から北へ向かうと、車道は西に蛇行していますが、自転車ならそのまま直進できる道もあります。

日本一長い天神橋筋商店街の南端にぶつかりました。

参道道とあるように、大阪天満宮の参道として、また天満青物市場がこのあたりにあったことから、ここまで大きな商店街となったようです。

商店街を北に進み、一つ目の交差点を東に曲がります。

すると大阪天満宮の表大門が見えてきました。

大阪の中心部にありながら、広大な境内にはびっくりしました。

訪れたのは初めてなのだと思います。

天満宮なので、祀られているのは菅原道真公です。

もちろん牛も鎮座。

学問の神様ですから、絵馬も多く奉納されていました。

子供の受験の年は、正月三が日に北野天満宮へ参ってきました。

兄妹とも、これまで全て第一希望へ合格できたので、心から北野天満宮に感謝しています。信仰していると言っても間違いありません。

しかしこれだけ近くに天満の天神さんがあるとなると……さてどうするべきか。

娘の大学受験の時は、熟考しなければなりません。

境内を北に抜けると、星合池という小さな池に橋が架かっていました。

縁結びの橋とされているようです。

その橋を渡ると、 あの橋名飾板が。

向かい合わせの一対のようですが、特に説明はありませんでした。

なぜここにあるのでしょうか。とても気になります。

周囲をぐるりと回って戻ってきました。

北西角には天満天神繁昌亭があります。

上方落語の定席ですが、境内の一角といった位置にあるのです。

道をはさんで、たこ焼き屋さんも。

このあたり、何とも楽しそうな界隈でした。

天神さんには6つの門があり、それぞれに独自の用途と由来があるとあります。

こちらは「戎門」にある御神酒笑姿像。

その表情を見ているだけで、何とも幸せな気分になります。

「えびす像の盃にお酒を入れるのはご遠慮下さい」の張り紙には笑ってしまいましたが。

その後、グランフロントまで妻の買い物に付き合いましたが、大汗でした。

自転車で行くのは、季節の良い時だけにすべきのようです。

長男から、父の日のLINEギフトが届いていました。

普段はスーパードライですが、味のしっかりしたエビスビールも大好きです。

先ほどのえびす像、御神酒笑姿(おみきえびす)で、御神酒戎ではありませんでした。

お酒と笑う姿。こんな最強タッグはありません。

そうそう、私は意外に耳たぶが大きいのです。

何かいいことがあるよう、笑顔を心掛けたいと思います。

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信仰の自由‐2222‐

6月に入りましたが、梅雨はもう少し先でしょうか。

気持ちのよい日が続きます。

先月のはじめ、ローマ・カトリック教会の新教皇が誕生したというニュースがありました。

ロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が、第267代ローマ教皇に選ばれましたが、アメリカ出身は初めてということも話題になりました。

約14億人の信者がいるとされるローマ・カトリックの教会がすぐ近所にあります。

大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、「ローマ教皇が直接任命し教区を統治する司教が、公式に座る椅子がある聖堂」と説明がありました。

大聖堂に隣接した高い鐘楼は、阪神淡路大震災のときに被災し、撤去されたともありました。

鐘楼も一度は見てみたかったです。

日曜日になると、色々な人種の方が教会に入っていくのを見て、Webサイトで調べてみると、日曜日は5度のミサがあり、日本語に加えて、英語、ベトナム語、韓国語のミサも開かれていました。

信者でなくても自由に参加下さいとあります。

立派な空間で、後日参加してみようとこの日は一旦帰ったのです。

入口の左には、キリシタン大名で知られる、高山右近の像があります。

高槻城の城主となった右近は、織田信長、豊臣秀吉に仕えますが、1587年突如、秀吉が伴天連(ばてれん)追放令で大名の地位を失いました。

金沢の前田利家に客将として迎えられるも、家康の禁教令でマニラへ追放。

その地で1614年に病死しました。

細川ガラシャは、明智光秀の三女、玉子として生を受けました。

1582年に信長の媒酌で細川忠興と結婚します。

しかし、1582年、光秀の本能寺の変により、細川家は玉子を離縁、丹後国に幽閉します。

同じく、1587年の伴天連追放令で、忠興から外出を禁じられますが、自宅で洗礼を受け、キリスト教徒となります。

ガラシャ(恩恵の意)はその洗礼名でした。

1600年、忠興が家康の東北の上杉氏討伐に加わった際、石田三成は忠興を味方につけるため、妻ガラシャを人質として大坂城へ連れていこうとします。

それに応じなかったため、ガラシャの屋敷に三成側が火をかけます。

キリシタンの教えでは自害が禁じられているため、家臣に胸を突かせて37歳の人生を終えたのです。

教会を少し西にいったあたりに、「越中井」が残っています。

忠興の邸内にあったものといわれ、ガラシャ最期の地とされているのです。

平日は、朝の7時からミサが行われていると知り、ジョギング帰りに初めて参加してみました。

洗礼を受けていない人は聖体拝領は受けられません。

しかし、聖書も持っていない私が参加するのは、少し場違いかなと感じました。

ただ、早朝の大聖堂の空気は清らかで、時々立ち寄らせてもらっています。

命を掛けて信仰を貫いた人が居たことは知っていましたが、より身近に感じるようになったのは事実です。

高山右近は、伝来間もない時にキリスト教に改宗、ユスト(儀の人の意)洗礼名を受けました。

全く予備知識の無い中で、改宗したその行動力にも驚かされます。

信仰の自由とは……

最近、ちょっと考えているのです。

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通称・森ノ宮、仮名(けみょう)・太郎‐2219‐

JR森ノ宮駅の西向かいにある、鵲森宮(かささぎもりのみや)。

通称、森ノ宮神社とあります。

鳥居をくぐると、すぐに解説がありました。

聖徳太子によって創設され、日本書紀にも登場する由緒ある神社です。

現在は、聖徳太子とその両親である用明天皇、穴穂部間人皇后を祀る日本で唯一の神社とありました。

聖徳太子の命による使者が、新羅への使者が、鵲(かささぎ)2羽を持ち帰ってこちらで飼ったことから、鵲森宮(かささぎもりのみや)となったのです。

かささぎの わたせる橋におく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける

境内には、百人一首にも選ばれた大伴家持の歌碑もありました。かささぎ繋がりなのでしょう。

通称の方が広まり、このあたりを「森ノ宮」と呼ぶようになったのです。

日本では、通称のほうが一般的だったり、地名と神社が、同じ音にもかかわらず、他の漢字があてられていることが結構あります。

「お初天神」などもそのひとつですが、以前から何故なのだろうと思っていました。

ここからは私の仮説ですが、「諱(いみな)」という習慣が関わっているのかもしれません。

「諱」は 生前の実名を指し、普段使われる名まえを「字(あざ)」と呼び、区別していたようです。

また、普段「諱」を使うことを避けるため、江戸時代以前には、仮名(けみょう)を使うことが一般的だったようです。

生まれた順番に、太郎、次郎~九郎などと呼ぶ習慣です。

官職にちなんだ「〜兵衛」「〜左衛門」「〜右衛門」なども、同じような理由によるものでした。

調べてみると色々な説がでてきましたが、「諱」(=本当の名前)で呼ぶことは失礼にあたるというのが、何とも日本らしいなと感じたのです。

ただ、その感覚は少し分かるような気もします。目上の人を苗字で呼ばず、役職で呼びがちなのも似たようなものかもしれません。

敬意を示すがゆえに、その名前を呼ばない。

ここまで奥ゆかしいと、呆れるのを通り越して様式美さえ感じます。

あくまで仮説ですが、席は自由で社長ではなく〇〇さんと呼んで欲しい会社とはマッチしないでしょう。

さてどちらが良いのか。当社におけるその結論は、もう少し悩ませてください。

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